2001/10/5
八王子城・落城秘話

私達がお仕事をさせて頂いている、八王子や日野という町は、
非常に歴史のある町で色々な史実があります。
今回のお話は、ちょっと悲しいお話です。

 JR中央線の高尾駅より北西約3キロメートルほどに城山と呼ばれる急峻(きゅうしゅん)な山一帯に八王子城址がある。山麓の東京造形大学周辺では、八王子落城にまつわって、今でも「滝の水が真っ赤に染まった」、「十二単(じゅうにひとえ)の女性や鎧(よろい)武者や白装束(しろしょうぞく)の幽霊が出た」などと、奇々怪々な話が後を絶たないという。その背景には、どんな史実が隠されているのだろうか。

 八王子城は、戦国時代に関東南部一帯を支配した後北条氏三代当主氏康の次男氏照が西の武田信玄に備えて天然の要害を利用して築いた戦国最大の山城である。

 氏照は、武田氏と激しい攻防を繰り返し、1580年代半ば、標高160メートルの滝山城から470メートルの八王子城に移り、ここを後北条氏の拠点である小田原を守るための最後の砦とした。

 1590年、豊臣秀吉は全国制覇の仕上げとして小田原の北条攻めを開始する。対する北条方は関東各地の主力部隊を小田原にろう城させて対抗した。氏照も小田原城で北条全軍の統率にあたり、八王子城は、いわば「留守城」となった。豊臣方は、秀吉・徳川家康らの東海道軍と前田利家・上杉景勝らの信濃から上野、続いて武蔵へと攻め上がる東山道軍の二手に分かれて小田原に向かった。

 東山道軍は関東に入り、上野松井田城、つづいて武蔵松山城を降伏開場させ、ついに八王子城に近づき、6月22日、城の明渡しを迫った。留守部隊は、「氏照の下知なき間は、何人の勧め給うとも降参なすべからず」と、これに応じず、ついに翌23日、八王子城攻めが開始された。東山道軍は総力を結集して城内に踏み込み、城内を焼き払って老若男女の別なく手当たり次第に斬りふせた。城内の女性達は次々に滝に身を投げていったという。

 こうして、北条方の最後の砦、要害八王子城はわずか1日にして落城した。八王子城落城の知らせを聞き、戦意喪失した北条方は、7月6日、ついに豊臣方に小田原城を明渡すことになる。

 北条方の最後の砦であった八王子城の攻防は、双方にとってまさに「最後の一線」であった。北条方の大半の支城が無血降伏開城した中で、八王子城で激しい攻防戦が行われた理由はここに求められよう。

 八王子城落城悲話は、その激しさゆえに、今でも急速な都市化が進む東京のベッドタウンで人々の深層に深く刻まれている。

 前回の「千人同心」同様、「我が町八王子史の一ページ」を覗いてみました。
 次回をお楽しみに。

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